第731回ランキング
- 第 1 位 ( ⇒ )
OKAMOTO’S「時差」
NHK BSプレミアム・プレミアムよるドラマ「嘘なんてひとつもないの」主題歌 - 第 2 位 ( △ )
re:plus “Yourside”
BS JAPAN・ドラマ「真夜中の百貨店 ~ シークレットルームへようこそ」エンディング テーマ - 第 3 位 ( △ )
小田和正「いっしょに、一生懸命に。」
NTT東日本 テレビCMソング - 第 4 位 ( ▽ )
松任谷由実 “AVALON”
JRA 日本中央競馬会 テレビCMソング - 第 5 位 ( ⇒ )
NHK総合・大河ファンタジー「精霊の守り人」テーマ音楽 [佐藤直紀]
♪ 1位 2週、登場13週。
全国でAMラジオのFM補完中継局の配置が進んでいます。ですがJFN加盟局の春改編からは、特段の危機感などは感じられません。もはや番組編成に関して出尽くし感が覆っており、打つ手が何なのか? 混濁しているのかも知れません。そんな春のラジオ改編の成功例として、この時期になると思い出す番組と言えば、QR文化放送の「決定!全日本歌謡選抜」です。
LF と TBSに聴取率で差をつけられた 1976年の春、QR文化放送は「第2の開局」と銘打った大改編を実施します。それは 人気パーソナリティだった片山竜二 氏を、TBSから引き抜いて 朝ワイドを担当させるなど、大胆不敵な全面改編でした。この 第2の開局 の一環として、不毛の時間帯だった日曜午後には、3時間半の大型邦楽ヒットチャート番組を開発します。
TBSアナからフリーになった小川哲哉 氏 と QR社員の丹羽たか子 アナが担当し、電話リクエストをメインデータにベスト50を決定・発表。しかも全てのオンエアー曲を完奏させる、実に独創的な番組でした。開始当初は、野末陳平 氏に 途中チャートとは無関係のコーナーを担当させましたが、程なく小川・丹羽のコンビが、3時間半フルで担当するシフトを組んでいます。
30名のオペレーターを配した電話リクエストを受け付けるルームと、DJブースを一体化した「情報コントロールセンター」から、小川哲哉 氏の有名なタメ口によるゲストインタビュー(笑)も含めて、これでもかというほど新譜情報を流しまくり、ラスト 1時間にベスト50を発表。ベスト10は、番組のコンセプト通りに、全曲フルコーラスでオンエアーしました。
開始数年で空前の人気番組になり、30名のオペレーターを擁しても、リクエスト受付で電話がパンク状態となり、最盛期には 東京都内で末尾 8番の方などと、実に細かい末尾制限を設けて、電話リクエストを受け付けていました。3時間半の間には、上位曲に関して、番組前半 と ベスト10で 2回オンエアーする、通常の番組では あり得ない事も平然と行っていたのです。
ベスト50は、電話リクエスト集計 と 全国民放 16社の順位に基づき、決定!全日本歌謡選抜の実行委員会が決定します。この実行委員会は、不二家歌謡ベストテン における、ニッポン放送音楽委員会と同じく 重要な仕組みを構成していました。但し 丹羽たか子 アナは、数年前の雑誌インタビューで、実行委員会のメンバーが僅か 3名だったと告白しています(笑)。
また番組で紹介される全国民間放送 16社の順位は、ベストテン と 注目曲 1曲だけで、この程度のデータ集計では、総合 30位前後までが精一杯だと推定され、電話リクエストの順位情報に至っては、8時だヨ!全員集合のヒゲのテーマをBGMに、なぜか順位を明確にせず、小川 氏が独走とか 接近とか、まるでマラソン中継の様なリポートをしていました(笑)。
さらに人気が高まるとHBC北海道放送・SF東海ラジオ・OBCラジオ大阪でも、決定!全日本歌謡選抜が トヨタ自動車 1社提供でスタートします。ところがQR文化放送をキーとした同時ネットではなく、それぞれの局が別のパーソナリティを擁し、独自に電話リクエストを受け付けて、なぜかベスト50は 全く同じという不可思議な放送形態でした(笑)。
この各局のベスト50が全く同じという事実は、当時の私が 遠距離直接受信により、この耳で確認しています。まさか 2本録りで配信していた(笑)全国歌謡ベストテンの様に、ベスト50を 順位発表アナウンスの原稿と共に事前決定して、HBC・SF・OBCに予め配布していたという事は 無いと信じていますが(笑)実に奇妙な同一ランキングでした。
ベスト50の発表では、50位から 1位までに総合点 1275点を割り振り、女性歌手が紅組、男性歌手が白組として対抗戦を行い、勝った組へリクエストをしたリスナーには、抽選で賞品が当たるお楽しみもありました。とにかくQR文化放送は、この紅白対抗によるヒットチャートが好きで(笑)歌謡紅白人気投票や 歌謡紅白ベストテンなど、従前から放送していました。
ベスト10 と ベスト3には、ファンファーレが鳴り、順位発表の瞬間にオペレーターの拍手。実行委員会が手計算で集計しているのに、なぜか大型コンピューターの稼働音BG、そしてイントロ尺に合わせた完璧な順位紹介アナウンスと、当時のアイドルブームに乗って白組が数十連勝しても(笑)形式美を守りスタイルを変えなかったのが、決定!全日本歌謡選抜だったのです。
例えば 番組開始からの数年は、年間ランキングの発表がなく、年末年始もレギュラーのベスト50を、フォーマットを変えず淡々と発表しており、後半期になって、レギュラーベスト50の前の 1コーナーとして、 年間ランキングの発表を始めました(笑)。この年間ランキングの発表システムは、後番組“SUPER COUNTDOWN 50”で やっと昇華します。
あまりにも見事なフォーマットのため、日曜日の夕刻となる番組終了時の寂しさも格別でした(笑)。ベスト10の振り返りでエンディングを迎え、テーマ音楽が終わり、丹羽 アナが「この番組は 愛される車を目指すトヨタ自動車の提供でお送り致しました。」と、コールした瞬間からです。QR文化放送から、一気に哀感に満ちた言い様のない寂しさが漂います。
トヨタ自動車から マルキン自転車へ(笑)超ローカルなCMが流れた後、局アナとして残った丹羽 アナが、都内の天気などを軽く紹介し「この後は サウンドスポットでお楽しみください。4時半になります。ジェイオーキューアール。」 と、アナウンスされると日曜の喪失感に苛まれます。このまま菊正宗の辛口名人会まで聴いていると、さらにブルーは深まるのです(笑)。
長年担当した小川哲哉 氏は、番組降板の後で、RFラジオ日本で演歌番組など担当していましたが、姿を見せなくなりました。消息すら知れません。結局あの第2の開局で定着したのは、最も独創的であった、決定!全日本歌謡選抜だけでした。近年のラジオ局改編には、独創的だと感じさせる新番組が皆無に近い中、4月になると、この決定!全日本歌謡選抜を思い出します。
「さ。お待たせ致しました。全国民間放送16社の順位と皆様からの電話リクエスト集計により、決定!全日本歌謡選抜の実行委員会がここに決定した第468回 ベスト50の発表です!」