FM長野・NHK-FM リスナーである ラジオネーム:チャート★ドランカーの個人ブログです。
私の 週間選曲リスト と 週間放送視聴日記 を 公開・保存しています。

第390回ランキング

   
  1. 第 1 位 ( ⇒ )
    NHK総合・大河ドラマ「龍馬伝」テーマ音楽 [佐藤直紀]
  2. 第 2 位 ( △ )
    NHK総合・連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」劇中効果音楽 [窪田ミナ]
  3. 第 3 位 ( △ )
    NHK総合・大河ドラマ「龍馬伝」劇中効果音楽 [佐藤直紀]
  4. 第 4 位 ( ▽ )
    坂本冬美「また君に恋してる」
    ♪ 作曲は 森正明。2011年 1月に再登場しています。
  5. 第 5 位 ( ⇒ )
    遊びでぃきらさ’z ~ あしびでぃきらさーず “Hurry up ハーリー”

 私が茨城から信州へ最初に訪れたのは、小学 3年生の夏休み。北佐久郡 立科町の実家に 2晩泊まっています。父と信越本線・大屋駅で急行から降り、タクシーを使って立科まで行きました。着いたのは 夕方頃だと記憶しています。歓待され夕食を食べていた その時でした。電話機が突然しゃべり出したのです(笑)。子供ながら この驚きは 恐怖に近いものがありました(笑)。

 電話機は、受話器から静かにしゃべり出すものです。いきなり電話機自体が大声を出すとは、まさに驚天動地の出来事だったのです。親戚も びっくりしているのに気付いたのか説明してくれました。「これは有線放送で、朝晩 勝手にしゃべるんだよ」(笑)。その電話機は、案の定 翌朝も大声で しゃべり出しました(笑)。これが「有線放送電話」との出会いだったのです。

 農事有線放送が広く普及したのは、ここ長野県 そして 沖縄県です。沖縄の場合は 電話機能がなく「親子ラジオ」と呼ばれていました。受信した琉球政府のラジオ放送や 独自のアナウンス放送を「親」ラジオ局から送信し「子」すなわち契約家庭の小さなスピーカーへ流します。そのスピーカーには スイッチ と ボリュームしかありません。そして 1チャンネルだけの放送でした。

 さらに電気が不必要。「親」の通電で「子」のスピーカーが鳴ったのです。電力事情の悪かった頃この点が歓迎され、終戦直後の米軍施政化で急激に普及します。最盛期は沖縄県内で 300局以上の親子ラジオがあったという話ですから、集落ひとつずつに親ラジオ局が存在したほどです。しかし、一般のラジオ・テレビ放送が広がっていき、現在では殆ど廃局しました。

 とにかく普段は 沈黙しているのです(笑)。有線放送電話は、朝夕の決まった時間を中心に、突然メロディは流れ出し「定時放送」が始まり、終了すると また沈黙します。朝の放送が、目覚まし代わりの挨拶や 農事情報、役場からのお知らせや催し物の予告。夕方の放送は、地域の話題などが多い様です。中にはリクエストを募ってDJをする放送所もあります。

 有線放送電話最大の特徴が「臨時放送」です。近隣の火災速報や鎮火のお知らせ。気象警報や大雪による休校連絡。地元首長や議員選挙の開票速報など、放送しなければならない情報があれば、臨時に放送を開始します。現在では、緊急地震速報や J-ALERTを自動送出する放送所もあります。この「臨時放送」こそ、有線放送電話の真骨頂と言うべきものです。

 もちろん電話機能は、何時間 話しても通話料無料。定額の使用料にコミとなります。前述の小学生時代、親父が茨城から立科へ電話をかける時、立科有線の交換台に「上田からだけど繋いでくれ」と言っていました(笑)。電電公社 と 有線放送所の取り決めがあり、茨城からだと言うと 繋いでくれないらしく、上田から と言うのは、一種のテクニック(笑)だった様です。

 長野県内の有線放送電話も、最盛期から だいぶ減りましたが、インターネット接続事業で生き残り、長野市などを中心に普及しています。普段は 沈黙し、時間が来た時 あるいは 必要な時のみ放送する「有線放送電話」。すっかり目立たなくなってしまった そのシステムにこそ、実は 未来のラジオ放送全体にとって、最も重要なポイントが潜んでいる気もします。


(追記) 週間放送視聴日記(2017年12月 1日)に、有線音楽放送を掲載しました。


ブログ開始は 2003年です。

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